経済産業研究所の2015年ディスカッションペーパーとして、鈴木將文先生(名古屋大学)の論文が発表されています。個人的に関心の高いテーマであるため、アウトライナーにコピーして真剣に読みました。ご紹介するとともに、思ったことを書き付けておこうと思います。
www.rieti.go.jp
紹介
概要は、上記のページに掲載されている通りですが、論文の目的としては、以下のように書かれています。
本論文は、標準必須特許(注:FRAND 宣言がなされた標準必須特許)の権利行使を巡る法的諸問題に関し、我が国の裁判例等の特徴や残された問題点を中心として、主要諸外国における動向も踏まえつつ、検討することを目的とする。
そして、論文の構成としては、テーマに関連する諸制度の整理と法的課題の概観、諸外国の裁判例等の整理、それを踏まえた知的財産高等裁判所の判決等(アップル・サムスン判決・決定)の分析、競争法の関係の最近の動向の紹介(補論)となっています。ボリュームとしては全40頁です。(「II. 標準と特許を巡る法的課題の概観」が9頁、「III. 主要国・地域の裁判例等の動向」が5頁、「IV. 我が国の裁判例の分析と残された課題」が17頁、「V. 補論-競争法関係の最近の動き」が8頁)
標準と特許を巡る動きはここ数年非常にホットになっており、裁判例も次々に出されていますし、論文も多く出されています。個人的にも関心の高い分野なので、できるだけ目を通すようにしていますが、なかなか全部を検討するのは難しく、また、個々の裁判例や論文の位置づけが全体のどこに当たるのかといったことまで個別に読んでいる時には考えが及ばないのが常です。そんな中、この論文では、アップル・サムスンの判例分析を行う前提として他国の裁判例や論文も整理されており、現時点(2015年11月末)での総合的な理解を助けてもらえるものになっています。関心のある向きには一読をお勧めします。
交渉の手段としての権利行使と防御
標準に組み込まれた特許、特に標準化のプロセスに参加している特許権者が標準に必須である旨の宣言をなしている特許は、通常の特許のように他人を排除するという機能が期待されません。特許権者は、逆に特許発明が広く利用されることを期待して標準の策定に関与しています。
このような利用者を排除しない文脈においては、特許の差止請求権は、特許権者と利用者=被疑侵害者の間で行われる交渉において特許権者側の最も強力な手段として機能します。
損害賠償請求は所詮はお金で片が付く話ですが、差止請求が認められると市場にある製品を引き上げることになり、影響は大きく、場合によってはその分野への再参入が非常に困難になるかもしれません。交渉が決裂し、訴訟に持ち込まれた場合に差止めが認められるかもしれないというリスクは、被疑侵害者にとって最も回避したいものです。このバックアップがあるからこそ、特許権者が出すライセンス条件を検討しようという気になると言ってもよいでしょう。
本論文においても、「特許権侵害に対する民事救済措置に係る一般的な議論に対する、本判決等の含意」として、以下のように述べられています(強調は筆者)。
本判決等が、当事者間の交渉への影響に照らして差止請求権を制限した趣旨を一般化して理解すると、差止請求権とは、特許権者以外の第三者による特許発明の実施を排除すること自体を目的とする制度というよりも、権利者と第三者間の交渉を合理的な結果に導くために権利者側に与えられた手段であり、もしも交渉の合理的進展を阻害する恐れがある場合には、差止請求権の行使は否定されるべきである、という考え方が背景にあるといえる。さらに敷衍すれば、特許権侵害に対する民事救済措置については、特許発明の価値を最大限実現し、それによる利益を権利者に還元するという観点から制度の設計及び運用をすることが望ましく、例えば、特許権者よりも一層効率的に特許発明を実施できる者がいれば、その者に実施させ、利益を特許権者に分配させることが社会全体の効用を一層高めるであろうから、そのような結果が当事者間の交渉を通じてもたらされるように、差止請求権の行使を認め、あるいは制限することが合理的といえる。本判決等は、差止請求権の意義をこのように機能的に捉えることに対して、少なくとも端緒となる考え方を示していると解することができ、近年我が国で議論されている差止請求権の制限の可否について、大きな示唆を与えるものと考える。
では、被疑侵害者側の交渉の手段は何でしょうか?通常、特許発明の技術的範囲への属否(被侵害)や特許無効についての主張になろうかと思います。この主張によって、特許権者の請求に理由がないことを申し立て、差止請求を退け、損害賠償の支払を拒むことになります。
全面的に退けられないとしても、技術的範囲に属するとは言い切れないような弱い点がある、完全には無効にならないかもしれないが権利範囲を狭められる資料がある、といった主張ができれば、交渉上は上等で、ライセンス条件を利用者側に有利に寄せることができます。
willing licensee
本論文では、アップル・サムスン知財高裁判決等において、標準利用者が「FRAND 条件によるライセンス契約を締結する意思のある者」であることを、差止請求やFRAND ライセンス料を超える損害請求を否定するための要件としたことを、「willing licensee 要件」と呼んでいます。
そして、同判決等が、「FRAND宣言の付された標準必須特許に基づく差止めおよびFRANDライセンス料を超える損害賠償の請求を原則として否定した点で、国際的動向にも沿った妥当な判断を示した」と評価しつつ、残された課題として、「(1) willing licenseesの認定基準などの具体化、(2) 標準必須特許権が移転した場合の処理、(3) FRANDライセンス料の算定を含む適切な紛争解決手段の確立」を挙げています。この課題のうち、実務家として最も関心の高いのは「(1) willing licenseesの認定基準」です。
というのも、上記のように、特許権者と利用者の交渉の場で互いに使える手段と考えると、同判決等においてwilling licensee ではないことの認定は厳格に行うべしとされたことが、差止請求権を原則として否定されることとのバランス上から妥当なのかという疑問があり得るからです。
本論文でも、「標準利用者側は、特許権者との交渉において、必須宣言特許の必須性、侵害の成否(特許発明の技術的範囲への属否)、特許無効等についての主張をする自由を拘束されるべきではなく、そのような主張をしているからといって、直ちにwilling licensee ではないとすべきではない。」とされているのですが、利用者側にこのような交渉手段を残しつつ、特許権者側の最大の武器である差止請求権は認められないというのはどうなのだろう、というのが素朴な疑問です。
なお、標準必須特許について差止が原則認められないという判断については妥当だと考えています。willing licenseeの認定が「厳格」と言われたことで緩く判定されすぎるのではないか、それによって、特許権者側は武器を奪われた状態で交渉に臨まざるを得ず、利用者側に有利になりすぎるのではないか、と思うということです。
この点、本論文の補論で紹介されているEU司法裁判所判決(Huawei v. ZTE)では、このwilling licenseeの基準についてかなり具体的に書かれているようです(知財ぷりずむの紹介記事も参照。)。要約すると、以下のようになります。
まず、特許権者は、訴えの提起前に、被疑侵害者に対して、問題の特許の侵害の恐れ、及び侵害と考える事実を特定して警告する必要がある。そして、被疑侵害者がFRAND条件によるライセンス契約締結の意思を表示した後、標準必須特許権者の方から、書面により、ライセンス条件、特にライセンス料およびその算定根拠を提示しなければならない。被疑侵害者は、このライセンスオファーに対し商慣行に照らして誠実真摯な応答をしなければならない。被疑侵害者がオファーを受け入れない場合、直ちに文書によって具体的なFRAND条件を含む対案を示す必要がある。被疑侵害者の対案が拒絶された場合には、被疑侵害者は、それまでの標準必須特許の使用回数等に基づいて算定した金額を、銀行保証または担保に供する必要がある。
これによれば、被疑侵害者側も、ライセンスを受ける意思があります、と言っているだけではダメで、商慣行に照らして誠実真摯に応答し、対案を示す必要があるし、対案が拒絶されたら、担保の供託までしておかないといけないようです。「商慣行に照らして誠実真摯に応答」というのが具体的にどういうものが想定されているのか分かりませんが、単純に「高いから払えない」と言っているだけではダメなのかもしれません。その特許の価値とか属否や無効論に基づいた根拠のある主張である必要があるのかもしれません。
しかしながら、このような「willing licensee」に求められる義務は、アップル・サムスン知財高裁判決等から受ける印象とは多少隔たりがあります。通常の交渉において、提示されたライセンス料とかけ離れた対案を出した場合、「交渉する気がない」と受け取られても仕方がない場面もあると思いますが、わざわざ「厳格に行うべき」と言われていることもあって、特許権者のオファーを全く無視するようなことがなければよいのではないかとも受け取れます。
実際、この知財高裁判決の後に出されたイメーション株式会社とパテントプール団体のOne-Blue, LLCとの訴訟(東京地裁 平成27年2月18日判決)では、ライセンス料について両者に大きな隔たりがあったことが認定されつつも、判決は以下のように述べ、原告イメーションは「willing licensee」でなかったとは認定されていません。
原告ないし米イメーション社と被告との間には,妥当とする実施料について大きな意見の隔絶が存在する。
しかし,ライセンサーとライセンシーとなろうとする者とは本来的に利害が対立する立場にあることや,何がFRAND条件での実施料であるかについて一義的な基準が存するものではなく,個々の特許の標準規格への必須性や重要性等については様々な評価が可能であって,それによって妥当と解される実施料も変わり得ることからすれば,原告ないし米イメーション社の交渉態度も一定程度の合理性を有するものと評価できる。加えて,被告の交渉態度も,必ずしも原告ないし米イメーション社との間でのライセンス契約の締結を促進するものではなかったと評価できることからすると,両社間に大きな意見の隔絶が長期間にわたって存在したとしても,原告においてFRAND条件でのライセンス契約を締結する意思を有するとの認定が直ちに妨げられるものではない。
この判決を読んだときの率直な印象は、
「払わない」と言わなければよく、通常なら特許権者が怒るような料率でも対案として出しておけばいいのでは?
というものでした。その結果、特許権者が訴訟に持ち込んだとしても、交渉は継続していたと認定されるようにだけしておけば、差止請求は認められないし、FRAND条件を超える損害賠償請求は認められないのですから、被疑侵害者としては、訴訟前に頑張って交渉を妥結するインセンティブが薄いのでは。。。
というように、「willing licensee」の認定基準は、特許権者と標準利用者のバランスを考える上で、非常に重要なものだと思いますので、今後の積み重ねが待たれます。
現場へのフィードバックがどうかかるか
このような内外の裁判例の積み重ねは、裁判外での当事者交渉に大きな影響を与えます。差止請求権が制限され、損害賠償額もFRANDの範囲内とされ、かつ、ロイヤリルティ・スタッキングを考慮して上限が定められるとなると、特許権者は、従前に比べ、自身が「合理的」と考える料率よりも相当低い料率での交渉を余儀なくされると考えられます。
そうすると、そもそも、標準必須特許を「作る」インセンティブにもフィードバックがかかり、権利化の行動に変化が生じるのではないだろうか、というのが次なる疑問です。
またこれは、知財高裁判決が、「必須宣言特許に基づく損害賠償請求であっても、FRAND条件によるライセンス料相当額の範囲内にある限りにおいては、その行使を制限することは、発明への意欲を削ぎ、技術の標準化の促進を阻害する弊害を招」く、とし、本論文でも「特許権者にライセンス料収入を通じた利益を保障することも、優れた技術を標準に組み込むために必要である。」とされていることが、本当にそうなのだろうか?と思う、というところにも繋がります。
もともと、技術を持った者が標準化に参加するのは、必須特許により得られるライセンス料収入による利益を狙っているわけではなく、自分の技術を使った製品を標準を使って市場拡大するため=開発投資が無駄にならないようにしたいからで、製品の販売によって投資を回収することを予定していると思います。特許は開発成果の一部であって、開発投資の一部回収に役立つこともあるがあくまでおまけの位置づけではなかったでしょうか。それがあるとき必須特許からのライセンス料収入で大きな利益を得られたケースが出現したために、成功モデルとして踏襲されるようになっただけで、本来的なものではないのでは。
という仮説に立つと、FRANDのライセンス料が低く抑えられることで、必須特許を作る=自社の特許を組み込んだ標準策定に動く、という行動が減ってくるのではと思ったりするのですが、これは時間が経たないと分かりませんね。今後とも注視する必要がありそうです。